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プロフィール

桑田 恭宏 / Room オーナー

栃木県出身。16歳の時ハサミと出会い、美容師という職業に歩み始める。
薬剤知識が深く、美容メーカー・外部講師の経験もある。
現在は、東武東上線沿いに朝霞店・北朝霞店・志木店の3店舗を経営。

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オーナーインタビュー

経営者にとって重要な要素はなんですか?

ROOMではスタッフを一人でも採用する以上、次の年もその子のために必ず採用します。
そうしないと、その子のスキルに関係なく、サロンの都合でシャンプーから抜け出せなくなるからです。
サロンありきではなく、人ありきが僕のポリシーですね。

もちろん、結婚や独立によって、そのバランスが変わることもありますし、
その都度、経営者として迅速に対応しなくてはいけない。

スタッフの成長に合わせた出店計画や、売上に合わせた適切な運営費のコントロールなど、
すべての要素を同時並行かつ、絶妙なバランスで成立させる…そういったスキルが重要だと思います。

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最終目標に関して

とても難しい質問です。美容師は20代にすべてが凝縮されています。
そういった意味ではプロスポーツの世界と変わらない。
プロスポーツなら、一生分稼げるかもしれませんが、美容師は厳しい。
たとえ日本一の美容師になっても、20代で一生分は稼げない。
この業界構造に立ち向かって行かなければなりません。

自分だけではなく、スタッフ全員が「美容師になってよかった」と思えるためには、スタッフの成長に合わせた出店、つまり拡大路線は避けて通れません。

これからの時代、経営者にとってリスクも大きいですが、やるしかない。目標に「最終はない」と思いますので、自分が引退するその日まで、成長し続けたいと思います。

求める人物像

これは答えやすい質問ですね。人を喜ばすのが大好きな人。
技術というのは深みがあり、これを語りだしたら僕を止められなくなりますよ(笑)。
しかし、「何のための技術なのか」という位置づけがないと厳しいですね。

たとえば、雑誌のヘアデザインはモデルさんが主役ではなく、
スタイリストが表現したいヘアスタイルに合わせたモデルさんを選びます。
それに対して、サロンワークはお客さまが主役です。その人が気持よくすごせるヘアスタイル、
つまりデザインだけじゃなく、似合わせや手入れの楽さ、最適なダメージケアなど、さまざまな要素が必要です。

ちょっと昔の話ですが、サーファーカット。
あのロングヘアーがサーファーの間で流行った理由は、
ロングヘアーなのに、海から上がったとき(濡れていても)前髪で前が隠れないからです。

単にデザイン性だけではなく、
サーファーというライフスタイルに合わせた機能性があったからこそ、多くの人に受けました。
サロンにいらっしゃるお客さまに趣味や好みだけを聞くことが、ライフスタイルに合ったデザインではありません。
お客さまの心の中にある材料をうまく引き出し、3次元にしてこそ、サロンでのデザインワークといえます。

また、お客さんが言った通りにやってはダメなんです。お客さんが思った通りにやれないと。
人を喜ばすことが大好きな人でないと、言葉では理解できたとしても、なかなか実践できない。
みんな売れっ子になりたいと思っていますからね。

技術・サービスにおいて、お客さまの期待を超えるしかない。
ルームは、そうした美容師として育つための、さまざまなノウハウをスタッフと共に積み重ねてきました。
美容師としての成功を一緒に夢見て、また、共に実現させたいですね。

人生最良の決断

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物心ついた頃から創作少年だった。夢は大工。
小学生のころは、電動工具を使って工作するのが大好きだった。
お年玉も、年々レベルアップさせたい工具キットのために使った。
中学生になると、オーディオやカメラに興味を持った。

「どうせ持つなら、大人顔負けのハイスペックなやつがいい」。

親に頼りたくなかった少年は、新聞配達のアルバイトをした。
好奇心・探究心・独立志向。
どれもとっても、人一倍強い少年だった。

高校生になった。創作に対する想いは変わっていなかった。
ただ、その感性に「お洒落」という別の、同じくらい価値あるものが加わっていた。
馴染みの美容師に「ハサミを譲ってほしい」と頼み込むまでに、
それほど時間は要さなかった。
バイト代と引き換えに、本物のプロの道具を手に入れた。

「通っていた高校から、徒歩2分の場所に実家があったので、同級生のたまり場でしたよ。
そのハサミで友達の髪を切りまくったけど、自己流だったので、へんな癖がついたりして(笑)。
あとから直すのも大変だったけど、とにかく楽しかったですね。」

16歳の夏。人生最良の決断を下す。

美容師になろう。

もっとも、最良の決断だったと気付くのは、ずっと後の話。

独立までの7年間で5店舗を渡り歩く

専門学校を卒業し、成城学園の美容室へ。独立までの7年間で5店舗を渡り歩いた。
狙いは新規オープン。バックグラウンドは一切なし。自分を試したい人間たちの集まり。
店一番のパフォーマーになることだけを考えていた。

そして店一番のトップスタイリストになることを繰り返した。指先に宿る技術は「確信」となっていった。
同じ美容師からの羨望の眼差しも、いつしか「当たり前」と思うようになっていたかもしれない。
桑田の周囲。客以外の人間は、徐々に一定の距離を保つようになっていた。どうでも良かった。
売上以外は―。

桑田はあまりにも純粋だった。そして純粋な「競」の世界には、不純物とすら思えた。

一番しかない。最高の立地で「Room」を出す。

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そんな桑田氏に転機が訪れる。熱烈に勧誘されていた店を断った。
桑田を高く評価していたオーナーは、
「自信があるなら格安の物件を紹介しようか?」と告げた。

今の桑田氏のような、失敗も成功もひと通り経験した大人の目をした桑田恭宏ではなかった。
当時の桑田にとって、居ぬき物件の難しさなど、知るよしもない。

桑田恭宏27歳。
ハコさえあれば、この両腕さえあれば、成功できると信じていた。
場所は東上線・朝霞駅。
セット3面・シャンプー2台・アシスタント1名。

資金上、内装も納得する内容には仕上げられなかった。
構うものか―。

知らない土地、朝霞。
構うものか―。

初月の売上34万円。
…構うものか。

「技術があれば何とかなる」。
若き経営者が出した結論だった。

事実、パフォーマーとしてのマンパワーで、売り上げは緩やかだが、少しずつ改善されていった。
やめない限り、失敗はしていない。だが成功もしていない。
変化のない日々と変化のない数年間。そんな最中だった。
とある電話が、桑田を変えるきっかけになる。

「知り合いの髪型をみて、行ってみようかと思ったの。場所を教えて下さらない?」

当時の「Room朝霞店」は、月の新規来店が0人のこともあった。
立派な店構え…とは言い難く、古ぼけたビルの急な階段先の2階にあった。
桑田恭宏を知らない限り、新規で飛び込んでみる理由は見あたらない。そんなハコだった。
それだけに、こういった口コミ客はありがたい。桑田は一生懸命、場所を説明した。

そして―。

電話先の声から、信じられない言葉が返ってきた。

「そんな場所なの…。やっぱり結構です。」

電話は切れた。
2度とかかってこなかった。
…。
「冷静になろう。」
そして、冷静になればなるほど、一つの思いだけが強く残った。
一番…。一番しかない。朝霞で最高の立地。そこに「Room」を出す。

できる、できないではなくやる。今こそやるしかないんだ。

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シンクロニシティー。
心理学者ユングが提唱した概念で、共時性・同時性・同時発生という意味を持つ。 事件冷めやらぬ中、そんな桑田の意志に共鳴したように、ある看板が視界に飛び込んだ。

これから区画整理が進む朝霞駅前。一等地ビルの完成予想図。テナント募集の文字。 その日のうちに不動産に電話し、場所は押さえた。
だが、不動産が提示する期限までに、まとまったお金を支払う必要があった。

現実の貯金は100万もない。
桑田は覚悟していた。
波風たたない、静かな海のように。

できる、できないではなくやる。今こそやるしかないんだ。

寝る間も惜しみ、融資制度の仕組みを勉強し、分厚い事業計画書を作った。
当時は貸し渋りの時代だったが、国の景気対策の一環として、「中小企業安定化融資制度」があった。

千歳一隅のチャンス―。桑田は素早く行動に出る。
だが、訪れた大手都市銀行では、まともな対応をしてくれなかったという。
さらに銀行から厳しい現実を突きつけられる。
途方もない件数の融資審査待ち。
不動産に指定された期日には間に合わない。

そんな桑田を救ったのが、ROOMの向かいにあった居酒屋オーナーだった。
集客が難しいテナントで営む二人の経営者。自然と酒を交わす仲になっていた。
「俺はいつか駅前の一等地に移転する。いや、俺たち…だな。お互い頑張ろうぜ。」
繰り返された合言葉。その合言葉を居酒屋オーナーは先に現実のモノとしていた。
しかも、桑田が望んだテナントの別フロアーで。

桑田の窮地を知ったオーナーは、地元つながりで親しかったテナントの家主に直談判を行ってくれた。
「あいつは必ずお金を作ってくる。だからもう少しだけ待ってやってください。」
ビジネスだけで考えれば、家主も待つ必要はなかった。
間違いなく、桑田は救われた。

美容室や歯科医だけでも、5件以上の引き合いがある物件だった。
「今すぐ、金を払う!」…と交渉した美容室もあった。
もっとも資金がなかったのは桑田だった。
もっとも熱意を持っていたのが桑田だった。
寝不足と過労。
限界だった。
医者には「ゆっくり養生するように」と、ありきたりの言葉を投げられた。
思わず、想いが溢れてしまった。

「そんな素人でもわかる内容を求めてココには来ていない。
今の僕にはそれができないからココに来てるんだ!よろしくお願いします…!」

医者は半ばあきれた様子だったが、観念したように強力な点滴を用意してくれた。

「点滴を受けるベッドで横になりながら、無理かもしれない…という気持ちもよぎりました。
融資のことも、考えつく限りの最大限の努力をしてダメなら、潔くなれたかもしれない。でもね。
自分で自分にできない言い訳をして諦めるようじゃ、これから先、二度と前に進めなくなる…。そんな気がしたんですよ。」

そして、またシンクロニシティーが起きる。二人目の協力者が現れたのだ。
銀行担当者だった。

まともな応対すらしなかった担当者にも、桑田の「熱」は飛び火していたのだ。

「桑田さん、よく聞いてください。保証協会を迅速に動かすため、一般的に訪れる場所でないですが、
直接、協会まで出向いてください。私の名前を出してもらって結構。
とにかく審査担当の誰かの名刺をもらってきてください。
そして、ROOMの事業計画書と融資申込書を、私から担当者に直接、送ります。
必ず成功させましょう!」

桑田は言葉に詰まった。泣き出したいのをこらえた。
何もない自分への惜しみない協力の数々。

その後わずか1週間。
申し込みの全額。
3600万円の融資が実行された。


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エピローグ

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壁一面が、ガラス張りのフロア。真新しいビルの一角。まぶしかった。
大きく打ち出された「オープン告知」の張り紙。感無量だった。

内装工事が始まる前に、一人の顧客から電話が入った。
桑田はいつも通り、「ご予約ですか?」と尋ねた。
「いや、張り紙を見て…。」
「…?」
「オープン決まったんですね。すごく嬉しくなって。
ひとことお祝いが言いたくて電話しました。」
いつもは無口なお客さまからの、意外な言葉だった。

「美容師になってよかった。本当によかった。ありがとう。みんな本当にありがとう。」

7年前のオープン。たったひと束だった祝辞の花。
7年後。祝辞の花はエントランスを埋め尽くしてもスペースが足りないほどだった。

独立前の桑田と今の桑田。
自分自身が変わることで周りが変わる。世界が変わる。これからもずっと―。

「新生Room」がスタートした瞬間だった。

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インタビューの最後に

「居抜きでRoomを出店したり、
必死で勉強して資金繰りを経験しなきゃ、何も起こらなかった。

きっと、感謝してもしきれない方々と出会うこともなかった。
厳しい電話をくれたお客さまとの出会いも、
きっと僕には必要だったはずです。
つまり、過去に起こったすべてが最良の結果だった、そう思います。

人生には時として、後ろから頭をぶん殴られるような、
ひどいことも起こる。
だけど、そのたびに、自分の信念を放り投げちゃいけない。
挫けずにやることです。

今日までやってこられた理由は、ただ一つ。
16歳でハサミを手にした瞬間の気持ち。
ずっと変わっていないからです。
自分の仕事を愛し続けたからです。

大人になれば仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど、
自分が本当に、心の底から満足を得たいなら進むべき道はただ一つ。

自分が素晴しいと信じる仕事をやる。やり続ける。
それしかない。
ぼくにはそれが美容師だったんですよ。」

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